おはようモーニング!
本日6月7日は母親大会記念日と制定されているようです。
母親大会?と疑問に思ったかたは調べてみてください。
今日はそのお母さんに関する話をしたいと思います。
かなり前になりますが「おかあさんといっしょ」でうたのお兄さんを務めていた「だいすけおにいさん」が歌う、「あたしおかあさんだから」という歌がありました。
子供が産まれ、”お母さん”という役割になったことで今まで自由に暮らしていた自分を犠牲にし、”お母さん”という幻像を演じているという歌詞です。
歌詞の中には毎朝早起きし、子どもの為に好きなおかずをあげ、見たいテレビがあってもチャンネル権をすべて子どもに譲るお母さんの生活が、「あたしおかあさんだから」という繰り返しのフレーズに挟み込まれて描かれています。
子供が母親の足かせという印象を抱かせてしまうこの内容を元うたのおにいさんが歌ったことが更に反響を呼び「自分のせいでお母さんが犠牲になっている」と聞いた子供が思ってしまうのではないかとネット上で否定的な意見が多く寄せられました。
また、歌詞の冒頭には「立派に働けるって強がっていた」という一文があり、女性の社会進出が取り沙汰されている中、働いている女性にも失礼である。女性も「立派に」働いている。
という意見も多数出てきているようです。
しかし、少なからずこの歌詞に共感している母親も多いのも事実です。
子供には、お母さんの役割の大変さを伝えることも大切だと個人的に思います。
●今日の日本の伝統色は、代赭色(たいしゃいろ)です。
代赭色とは、代赭石(たいしゃせき)に似た、褐色を帯びた黄色または赤色のことです。
赤土は別名「赭(そほ)」ともいい、中国代州で産出する赤土が有名だったことからこの名がつきました。
近代になって布地の染色にも使われるようになりました。
各塗料メーカーで作ります、一般社団法人日本塗料工業会発行の塗料用標準色見本帳、通称「日塗工(にっとこう)」で一番近い色は、17−50Lあたりでしょうか。
※代赭石(たいしゃせき)とは、土状をした軟質の赤鉄鉱。顔料や研磨材に利用。また、漢方で補血・止血薬に用いる。
●七十二候
七十二候では、6月10日から6月15日頃を「腐草為蛍 (くされたるくさほたるとなる)」といいます。
七十二候が芒種の次候に変わり、草の中から蛍が舞い、明りを灯しながら飛び交う頃となりました。
古くは、暑さに蒸れて腐った草や竹の根が、蛍になると信じられていたそうです。
水辺や野の暗がりに浮かんでは消える蛍の光は、まさに夏の風物詩。
夏の夜を幻想的に照らし出してくれます。
「夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」
これは、清少納言の枕草子『春はあけぼの』に登場する有名な一節です。
夏は夜が趣深い。月が出ている夜はもちろんのこと、闇夜もまた、蛍が多く飛び交っている様子も良い。また、それらがただ一つ二つと、ほのかに光って飛んでいるのも良い。夜に雨が降るのも趣があって良いと、綴っています。
短い一節ですが、閑雅な光景が浮かんできますね。
蛍が放つ淡い光は「蛍火」と呼ばれ、夏の季語にもなっています。
●6月7日今日は何の日?
・母親大会記念日
1955年のこの日、東京・豊島公会堂で第1回母親大会が開催された。
1954年、ビキニ環礁での水爆実験実施をうけ、日本婦人団体連合会は国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案し、世界母親大会がスイスで開かれることになった。これに先立ち第1回日本母親大会が開催された。
「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」のスローガンの下に、生命と暮らし、子供と教育、平和、女性の地位向上等に関する分科会や講演会等が開催される。
・緑内障を考える日
緑内障の患者やその家族で作る「緑内障フレンド・ネットワーク」が制定。
六(ろく)七(な)で「りょくない」の語呂合せ。
・むち打ち治療の日
むち打ち治療協会が制定。
「む(6)ちうちをな(7)おそう」の語呂合せ。
・(旧)計量記念日
通商産業省(現在の経済産業省)が1952年に制定。
1951年のこの日、それまでの「度量衡法」を全面的に改正した「計量法」が公布された。翌1952年3月1日から施行され、1959年1月1日からは大部分が尺貫法からメートル法になった。
1993年11月1日の「計量法」の全面改正に伴い、11月1日に変更された。
・ムダ毛なしの日
「む(6)だげな(7)し」の語呂合わせにちなんで、除毛・脱毛ブランドVeet「ヴィート」などを展開しているレキットベンキーザー・ジャパン株式会社が6月7日に記念日を制定しております。
夏に向けて素肌を出し始める全ての女性たちに思わずさわりたくなる、すべすべ肌を手に入れて欲しい…!との願いが込められております。
・寸心忌
哲学者として活躍した西田幾多郎氏の忌日。
1945(昭和20)年6月7日居士号「寸心」から同氏の忌日は寸心忌と呼ばれております。
・第1回全国自動車競争大会開催
1936(昭和11)年6月7日、日本初となる本格的自動車レース第1回 全国自動車競走大会が神奈川県にあった多摩川スピードウェイで開催されました。
それ以前から自動車レースや大会自体はあったものの広場や空き地を利用した場所ばかりで、雨が降ると地面がぐちゃぐちゃになるなどの声も多く、大規模なレースになると主に環境面での問題が多かったそう。
そこで、有志が募り多摩川の土手に舗装が施された多摩川スピードウェイが造成されました。
また、大会にはフォード(アメリカ)、ベントレー(イギリス)、ブカッティ(フランス)、フラスキーニ(イタリア)
など国外でも有数の自動車メーカーも多数参戦しており、レースは車体の大きさ別に設けられるなどかなり大規模なものとなりました。
加えて大会当日には約3万人以上もの観衆が集まるほどの大盛況だったそう。
ちなみに、同大会には後に本田技研工業(現:HONDA)を起ち上げる本田宗一郎氏もレースに参戦しておりました。
戦後すぐに多摩川スピードウェイは廃止されましたが、跡地の一部は多摩川丸子橋硬式野球場として現在も残っており、座席跡や階段などは当時のまま現存しております。
・鉄人「衣笠祥雄」2,000試合連続出場記録達成
1986(昭和61)年6月7日、広島東洋カープの衣笠祥雄選手が、vs 阪神タイガース戦で日本プロ野球史上初となる2,000試合連続出場の大記録を達成しました。
この偉業は17年間休まなかった男としても脚光を浴びた他、当時はスポーツ医学に関する知識が充分ではなく、精神論が先行する時代での記録達成に怪我を克服する強さ、野球選手としての身体造り、プロとしての在り方など、その多くが賞賛されました。
その後連続出場記録は2,215試合まで伸び、同氏の功績は「鉄人」の愛称と共に讃えられております。
また、2,215試合連続出場記録を打ち立てた功績から国民栄誉賞を受賞しており広島東洋カープ 衣笠氏のつけていた背番号「3」は、広島カープの永久欠番に指定されております。
それでは今日も張り切って行きましょう♪♫♬
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